◆前回の記事では、価値観の再構築から始めることが、
剥(はく):山地剥(さんちはく)の要であると書きました。価値観の再構築とは、古びた先入観と偏った価値観を剥ぎ取ることであり、これさえ出来れば自ずと見通しが立って、前進する力が湧いてくるのです。人間というものは貪欲になりがちなもので、欲が過ぎて窮(きわ)まった状態が剥(はく):山地剥(さんちはく)。そこで、過ぎた欲を取り払わなければならない、というのが剥(はく):山地剥(さんちはく)の象意です。
◆そして、剥(はく):山地剥(さんちはく)に続く卦が、復(ふく):地雷復(ちらいふく)という一陽来復を意味するもので、今回の記事は復(ふく):地雷復(ちらいふく)に話題が移ります。
復(ふく):地雷復(ちらいふく)が意味する一陽来復とは、縦に6本並んだ線の初爻(一番下)だけが陽を示す「―」で、二爻(下から二番目)から上爻(一番上・下から六番目)までが陰を示す「- -」で表され、下から陽が萌(きざ)していることによるものです。
◆しかし、一陽来復を意味する復(ふく):地雷復(ちらいふく)の易卦が出たからといって、運気が一様に回復するワケではありません。一陽来復の卦に乗って開運するためには、それに見合った心構えというものがあるのです。その心構えについては、前々回の記事「平成21年(2009年)、己丑(つちのと うし)年の易卦は地来復(ちらいふく)、一陽来復です!」でも一部書かれているのですが、ここではもう少し掘り下げて話を進めます。
◆では、一陽来復を意味する復(ふく):地雷復(ちらいふく)という易卦について、安岡正篤師の著書『易学入門』を参照してみましょう。(※この色の部分はワタクシが書き足したものです)
剥・一転すれば復である。一陽来復、これから陽気長ずるのである。幕府の引退が、明治の維新、日本の世界的躍進となったような象である。象伝に曰く、復はそれ天地の心を見るか。
然るに大象は、「先王以って至日に関を閉じ、商旅行かず、后(きみ)方を省みず」と説いている。至日は冬至。雷・地冲に在り。まだ陽気大いに発するに至らない。陽気が萌(きざ)したという時である。故に万事慎重を要する。動いて順に行けば地沢臨(ちたくりん)、地天泰(ちてんたい)、雷天大壮(らいてんたいそう)となって発達する。)
【初九】:何ごとによらず、うかと進んでも、遠からずして気がつき、「我が身を修める」ことにたち返れば、悔いにあたることはない。元(おお)いに吉である。
【六二】:初九の道を継承してゆけば、安らかで、めでたく、大いに発展して吉。
【六三】:雷の上爻であるから、とかく軽挙妄動(けいきょもうどう:深く考えずに、軽々しく行動)したいところである。そのたびに復の道を忘れねば辧覆△笋Α砲い咎(とが)はない。(
【六四】:初爻(初九)に正応し、着々と信念を以って復の道を歩む(中行独復)のである。
【六五】:復の決定的地位である。敦(あつ)く自ら考えて行けば成功する。咎はない。
【上六】:復の爻を逐(お)って上六の辞(爻辞)や伝(象伝)に至り、首を低(た)れて、深念させられるのである。曰く、復に迷う。災眚(さいせい)あり。用(も)って師を行(や)れば、終(しまい)に大敗あり。其の国君に以(およ)ぶ。凶。十年に至るも征するに克(あた)わず(辞)。迷復の凶は君道に反すればなり(伝)。
復は初爻に示す通り「身を修める」ことから常に出発するのである。『大学』に言う通り(『大学』は易と相通ずる所が多い)、「天子より以って庶人に至るまで、“一是(いつ)”に皆身を修むるを以って本と為す」ものである。
これは明白な、また易しいことのようで、さてとなると、なかなかむつかしいことなのである。あらゆる迷いの本も、ここに存するといってよい。まさに「復に迷う」のである。これ凶であり、ここから災眚(さいせい)を招く。災は自然の禍(わざわ)い、眚(せい)は人自ら作るところの困厄(こんやく)である。
この復道を誤って、軍隊などを動かせば、終いに大敗があり、その国君にまで及ぼさねばならぬことになり、もちろん凶である。十年かかっても昔のような実力を回復することはできない。
復に迷うは特に君たる者の道に反する。―熟読玩味、実に痛切にして無限の貴い教訓である。(『易学入門』より)
◆長くなりましたが、以上が安岡師による復(ふく):地雷復(ちらいふく)の説明と解釈です。ここで復は初爻に示す通り「身を修める」ことから常に出発するのであると書かれているように、復(ふく):地雷復(ちらいふく)の要は>「身を修める」ことにあるようです。そして、>「身を修める」ということに通じる一文が、『人物を修める』という安岡師の著書に書かれています。
◆剥(はく):山地剥(さんちはく)が意味するのは、行き詰まりの状況でもあるのですが、そういう状況に置かれたときに「もうダメだ!」という気持ちが沸きあがってくるものです。これを中国語で表すと「没法子―メイファーツ」と言うのだそうですが、少しニュアンスが違うようです。『人物を修める』では、次のように書かれています。
「没法子―メイファーツ」という語があります。日本人はこれを“仕方がない、もうだめだ”という意味に解しておる。ところが向こうのメイファーツは、同じ仕方がないでも、決してそんな消極的なものではない”仕方がない。よしっ!やり直しだ“という積極的な決意を含んだメイファーツなのです。それは彼らが、絶えず異民族の侵略や征服、これに対する叛乱・革命を経験して、およそ安定とか永続とかいうことに信を持てない、地位も、名誉も、財産も、生命すらも確かでないということを身をもって体験している民族だからであります。(『人物を修める』より)
◆これと比べると今の日本人には、地位だの、名誉だの、世間体だの、財産だのと、さまざまなものに対して執着が有りますね。それが適度なものであれば悪いと思わないのですが、過度に固執している人が多く見受けられます。
◆欲は人を成長させるものですが、欲が過ぎると人間が希薄になります。中国の古典『管子』に「衣食足りて礼節を知る(生活に余裕ができて初めて礼儀や節度をわきまえられるようになる)」という言葉がありますが、「衣食余りて礼節を忘る」で、礼儀や節度をわきまえない人が少なくないのが今の日本だと思います。
◆礼儀や節度という人間性が衰えてくると、「仕方がない。よしっ!やり直しだ」という積極的な決意を含んだメイファーツが発せられなくなって、私欲にまみれた姿だけが残ってしまうのではないでしょうか。「仕方がない。よしっ!やり直しだ」という積極的な決意こそが、一陽来復の気の流れに乗るために最も有効なのですが、それとは逆に「復に迷う」方向に進んで「坤為地(全陰の掛)」に行き着くことになりかねません。
◆剥(はく):山地剥(さんちはく)の要である価値観の再構築には「仕方がない。よしっ!やり直しだ−メイファーツ」という積極的な決意が不可欠なのですが、これを「衣食余りて礼節を忘る」という状態の人に求めることはできないでしょう。
◆続いて、「一陽来復で開運するための心構え−その2」に進みたいのですが、またまた長くなりそうなので改めてアップいたします。またのご訪問をお願い申し上げます。
占い館ルネッサンス・右京
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Tag: 平成21年 己 丑 うし つちのと 地雷復 開運 易 易経
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