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論語・省の真意について(その2)‐安岡正篤『論語に学ぶ』より‐☆[第5回]
Thu.17.05.2007 Posted in 論語に学ぶ☆
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前回に続いて、論語の[学而編第一の四]にある・・・・・・

  曾子曰く、吾れ日に吾が身を三す。人の為めに謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝うるか。
   ソウシ イワく、ワれヒにワがミをサンセイす。ヒトのタめにハカりてチュウならざるか、ホウユウとマジわりてシンならざるか、ナラわざるをツタうるか。

 曾子曰、吾日三吾身、為人謀而不忠乎、與(与)朋友交言而不信乎、傳(伝)不習乎。

・・・・・・という言葉を題材に取上げて話を進めます。

「吾日三吾身」の読み方と解釈については、前回の記字に書いておりますので、今回の記事では、という字をもう少し発展させた内容について書いておきます。安岡先生は、という字について、つぎのように書かれています。

「このの字をつくづく味わってみると、かえりみてはぶくことの一番根源的なものは自己であるから、人間の存在そのもの、その生活、また従って政治にしろ、道徳にしろ、人間に関する一切はこの一〈〉字に尽きると申してよろしい。」

・・・・・・と。そして植木の栽培を例にとって、良い木を栽培する五原則に話が及び、枝葉の茂りをする、すなわちコントロールすることが大切なのですが、それは簡単にできるものではなく、「智慧と経験とが一致して初めて立派にできることである。」と述べられています。植木の剪定方法を知ったとしても、木は一本一本が違うわけですから、どれも同じという具合には行きません。これは、論語の[公冶長第五の二十二]に書かれている、「之を裁する所以(ユエン)を知らず」に通じることですね。

「之を裁する所以(ユエン)を知らず」というのは、裁縫の心得はあっても、それに使う生地のよさを引き出す裁ち方、要領までは心得ていないという意味でしょう。これは、色々なことに当てはまりますね。例えば、同じレシピで調理をしても、出来上がった料理の味は異なります。あるいは、ゴルフや釣の道具を同じにして、同じ環境で学んだとしても、実際にやってみると釣果やスコアまでが同じにはなりません。同様の例を挙げると、キリが無いくらいですね。この違いを、個々人の素質や才能の差として片付けてしまうのは簡単ですが、「智慧と経験」の違いで補えることでもあるのですね。学んだ中から生まれる疑問や推論が「智慧」であり、それを検証したり解き明かしたりすることが「経験」であって、この二つの行為が「智慧と経験を一致」させることなのでしょう。そして、どの分野においても、これを心得ている人だけが“本物”になるんでしょうね。

「三という言葉は、自身をみることによって「智慧と経験を一致」させることを示しているのでしょう。言い方を替えれば、「素質や才能」を持つ者であっても、「智慧と経験を一致」させることができなければ、「之を裁する所以(ユエン)を知らず」ということになるのですね。これは学力や技能にかぎったことではなく、「人格、その活動である道徳も同じことが言える」と、安岡先生は書かれています。この「智慧と経験を一致」させることこそが、[学而編第一]の冒頭にある「学びて之を時習す」「時習」の言わんとするところなのですね。「学」を「知識や記憶という学力や技能」とするならば、それを生かすための「智慧と経験を一致」させることが「習」の意味するところなのです。

このように考えると、今の教育は。「学」に偏重していて、「習」に欠けているように感じます。そして、「学」に長けた者が試験にパスして大企業や国家の中枢を担って、ニッポンを動かすワケですね。こういったことにも目を向けながらでなければ、教育改革というのも“絵に描いた餅”に終わるのでしょうね。それを託されている人たちが、どれだけすることをしているのか気になるところです。「学びて思わざれば則ち罔(くら)し」という事態だけは、想像したくないですね。
・・・・・・最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。《感謝》

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Tag: 論語 安岡正篤 孔子

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