安岡正篤を読む―占い師・右京の開運ノート☆

安岡正篤先生に私淑する占い師のブログ☆安岡正篤先生は東洋思想の研究家であり、易学にも精通された方です。占い師嫌いの占い師が占術の本質を求めて、安岡先生の著作をひもといた読書ノートと雑録です☆

 
 
最近の記事
 
 
 
☆ルネッサンス関連サイト&Linkサイト
 

右京が所属する『占い館ルネッサンス』の関連サイト&ランキングサイト。



 
 
おすすめのブログサイト☆
 
 
 
Powered By FC2ブログ
 
 
 
ブロとも申請フォーム
 
 
 
 

論語は学而編の・・・・・・
  子曰く、学びて時に之を習う、亦た説ばしからず乎。
  シ イワく、マナびてトキ(ココ)にコレをナラう、マたヨロコばしからずヤ。

  子曰、学而時習之、不亦説乎。

・・・・・・という言葉から始まりますが、「学びて時に」というくだりを、「学んだことを時々思い出して復習する」と解釈するのが一般的ですね。これを英語で表すと、“sometimes”と同じになります。これに対して安岡先生は、「時々では意味がおかしい」と書かれています。

論語は孔子(紀元前551年‐紀元前479年)とその弟子たちの言行録をまとめたもので、彼の没後にまとめられているものです。そこに集められた言行録を編纂するという作業は、それを行うものにとっては、「学んだことを時々思い出して復習する」という作業に等しいかもしれません。しかし、「学而時習之」の「学」と「習」の関係は、学んだことを復習するというものだとは思えないのです。

貝原茂樹先生の訳(中公クラッシックス‐中央公論社)では、これを「学んで時(ここ)に習う」とあります。安岡先生は「学んで時之(これ)を習ふ」という解釈を評価したうえで、「学んで之を時習(じしゅう)す」と読まれています。この2つの訳のほうが、的を得ているように思います。「学而時習之」の「時」は、時の流れを刻んだ時々という意味ではなく、タイミングを見ながらという意味なんでしょうね。

学んだことを折にふれて思い出しながら習うことによって、それが「時習」から「時活(じかつ‐これを活かす)」というようなものに変わるのでしょう。「学」というものは、覚えるだけのものではなく、活かしてこそ意味のあるものだということが「学而時習之」という言葉に含まれていて、論語の冒頭に置かれているのですね。

ブログランキングへ←←どっち?→→ブログランキングへ

次回は「省の真意について」に関する記事を予定しています。左サイドバーのリンク、《ルネッサンス&関連サイト》より、私どものブログに移動できます。ご訪問をお待ちしています。 《再見!》

 
 
 
 
 
 










 



管理者宛の投稿

 
 
 

論語[学而編第一之一]より「朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや」-の訳と解釈について☆論語雑記☆

論語や漢詩などの漢文を、日本の言葉で読めるようにしたものが“書き下し文”です。中国の言葉を、同じ漢字文化を持つ日本語に置き換える“書き下し文”は、それを理解する上で有効な手段だといえます。しかし、日本と中国の文法構造の違いを無視すると、内容が食い違った解
 
 
 
 
拡大・縮小 ボタン
 

 
 
Calendar
 


10 ≪│2008/11│≫ 12
S M T W T F S
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -

©Plug-in by ASIA SEASON

 
 
月別アーカイブ
 
 
 
カテゴリー
 
 
 
RSSフィード
 
 
 
Googleブログサーチ検索窓
 

Copyright © BLOG5 All Rights Reserved.

 
 
QRコード
 

QR

 
 
ブックマーカーリスト
 


検索エンジン最適化

 
 
FC2 ON LINEカウンター
 

現在の閲覧者数:
無料カウンター

 
 
FC2カウンター:Since'06.12.22
 

2006.12.22〜

 
 
☆開運おみくじ☆
 

©Plug-in by

 
 
☆星が見える名言集☆
 

 
 
プロフィール
 

Author:F.T 右京
FC2ブログへようこそ!

 
 
フリーエリア