安岡正篤『易学入門』☆太極と中庸☆
◎易は陰と陽との組み合わせをから判断するものですが、陰陽に分かれる前の状態、一体となった状態を太極と呼びます。陰と陽を図案化した太極図(参考リンク⇒⇒フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)は、目にしたことがあるでしょう。
◎太極は、陰陽が二つに分かれる前の混沌とした状態を示すとともに、陰陽のバランスがとれている・・・・・・陰陽の均衡が保たれていることも意味します。このバランスが保たれている、調和のとれた状態を「中」といいます。「中」とは、偏りや分裂が無く、固定もしていない状態という意味で、中国思想の根本理念である中庸という考え方に結び付きます。
◎すべての物事は、時間の移り変わりとともに生成化育という変化を遂げますが、その中にあって変化しないもの、いわゆる本質的なものがあります。例えば、桜は春に咲き、その後に葉が生い茂り、夏を過ぎて落葉するというように変化します。しかし、冬を越してまた花を咲かせるという意味では変化の中に「中」という調和を見せますが、長い期間で見れば、気が成長した後に枯死するという運命を背負っています。これを更に長いスパンでとらえると、その桜の木から結実した種が新しい生命を息吹くということですから、変化の中に調和があり、調和の中に変化があるという状態、すなわち中庸が保たれているわけですね。
◎この中庸というものを、人の生き方の中にも採りいれようとした考え方が、中国思想(中国陰陽五行思想)の基礎になっているのです。要は、如何なる状況にあっても、偏ることなく、ぶれることも無く、固執せず、流されず、急ぐことも迷うこともせずに生きる道を、中国の先哲は究明してきたのです。
◎変化が早くて、その流れに乗じなければ対応できないというのが、現代人の考え方だと捉えても過言ではないでしょう。しかし、状況を把握することに神経を使いすぎて、肝心なことを見落としていることが多いのも、現代に生きる者の病理的な特徴かもしれませんね。
◎安岡正篤先生は、『易学入門』の「筮法と占例」の部分で、中国の古代に活躍した易者である「厳 君平」のエピソードを書かれています。彼は占筮(易)を生業とし、日に数人を観るだけで、それ以外は易によって人に忠孝を教えていたそうです。そして、日々の暮しに必要な生計の糧を得れば、店を閉めてノレンを下し、「老子」を読むことを日課にしたということです。
◎今に生きる私たちが、こういう生き方を望んでも無理のあるです。しかし、必要なだけの収入を得て、余った時間を有意義に使う術を見い出すことも、しようと思えば不可能ではありません。ただ、その生活が、その生き方が、今の日本においては中庸とは認められないのですよね。ただ、長いスパンで考えるならば、私たちにとっての中庸も見えて来そうな気がします。これを考える上での、ものの見方を説いているのが易経であるということを、安岡先生は『易学入門』を通じて伝えたかったのだと思います。
◎この国の、都道府県単位のG.D.P.が、他の先進諸国(ポルトガル・ニュージーランドなど)のものと変わらないということを、今朝のテレビ番組で放送していました。であるにもかかわらず、その国々に及ばないレベルの生活を強いられていることに疑問を感じました。忙しいばかりで、その成果が享受できない国に暮すというのも、致し方の無いことですが、寂しい限りです。そして、易経の本家である中国が、わが国と同じような道をたどっているように見えるのも、皮肉な話ですね・・・・・・易経の“経”は、経済の“経”でもあるのですがね。
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易経のススメ☆安岡正篤著『易学入門』より
◎『易経』が、単なる占いの本ではないという話です。本好きな人なら図書館とか書店で、一度は『易経』を手に取って中をご覧になられたことがあるのではないでしょうか。中味を見ていないにしても、そういう本があるということは、ほとんどの人が知っていることでしょう。
◎私は占い師でして、占術修行の際に岩波文庫の『易経』(上下巻-高田真治・後藤基巳共訳)を読もうとしましたが、頭に入ってきません。愚鈍な頭ではありますが、多少の予備知識は持っておりました。それでも、読み進むのに疲れてしまう状態で、『聖書』以上に読み辛い本だと思いました。
◎『易学入門』(安岡正篤著:明徳出版社)の序文にも、「直接易経を読んだのでは、何のことだか、わけもわからないし、解説注釈の類も旧式で、どうも五里霧中の感を免れないとは、異口同音に洩らす嘆きである」と書かれています。また、「易は専門の漢学者に独占せられ、或は所謂(いわゆる)易者の極めて非学問的な取扱いに委ねられて、今日に至るも殆ど一般の知識人・読書子にはこれを学ぶ適当な道が拓けていない」とも述べられています。
◎『易経』というものが、私たちの生活の指針ともなる、読み応えのある本でありながら、縁遠い存在として扱われているのですね。その状況を打ち破るべくして、『易学入門』(安岡正篤著:明徳出版社)が世に出されたのは、昭和35年(1960年)11月のことです。今から47年も前に書かれたものですから、今にあっては、この本自体が古典的な扱いをされています。しかし、この本には、現代の私たちの生活に通じる部分が大いにあります。
◎こういった次第で、この本を読んで感じたことも、記事に書きとめて置こうと思い、当ブログのカテゴリの1つにしました。安岡先生は、この本以外にも易をテーマにした作品を遺されていますので、そちらも参考にするつもりです。今回は、その前フリのような意味で、易や易経というものが身近な存在であることを知って頂きたく、記事を書きました。
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『安岡正篤を読む―占い師・右京の開運ノート☆』に、リニューアルします☆
◎『占い館ルネッサンス姫路店☆右京のブログ☆ 』改め、『安岡正篤を読む―占い師・右京の開運ノート☆』として再スタートします。タイトルをガラッと変えるなんて、本当に不細工な話でスミマセン。
◎「右京のブログ」と題したブログには、 『占いブログ◎占い師 右京の開運ブログ☆ 』(Windows live space)と『占い館ルネッサンス姫路店☆右京のブログ☆ 』との2本立てでした。この2つのブログを、それぞれ「開運ブログ」と「占いブログ」というスタイルで運営しようと思ったのですが、恥ずかしながら挫折です。どちらのブログに記事を書くかに迷うこともあり、結果的に更新頻度が落ちてしまいました。考えてみれば、いや考えなくても、占いと開運は表裏一体のものですから、こういうミスは占い師として浅はかですし恥ですね・・・・・・反省。
◎それとは別に私は、安岡正篤(やすおか まさひろ)先生の著作に興味を持っておりまして、その読書ノートを書いておきたいと思ったのです。安岡先生の業績は、東洋思想と東洋史の研究が主たるものでしたが、易学に関する研究にも偉大な成果を残されています。そして、その先には研究の成果を人間学として役立てるという意志がありました。これこそ開運の道標として、記録すべきものと考えた次第です。
◎前出の2つのブログをどうしたものかと考えていた私にとって、片方を「読書ノート」としてリニューアルさせることは、渡に船ともいうべき思い付きでした。そして、これを「開運ノート」というタイトルにあらためて再スタートすることにしたのです。幸いなことに、占術学習の際に購入した安岡正篤先生の本(ほとんどが古書店で買い揃えたものです)が幾つか有りまして、これを再読しながら記事にするつもりです。
◎しかし、浅薄な占い師の読書録ですから、大したものは書けないと思います。タイトルは大袈裟に「開運ノート」としておりますが、中味は薄っぺらな雑記帳になるかもしれません。それでも、自己満足のためにという大義(?)の下に、細々と書こうと思っています。お気に召さない場合は、占い師の戯言として寛恕くださいますようお願いします。
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